遅れ馳せながら、先日の演劇公演に来て下さった皆様、どうもありがとうございました。

お陰様をもちまして、多くの方々にお越しいただき、子供たちにとっても忘れ難い公演になったと思います。


偶然、公演と同じ10月4日の朝日新聞(朝日求人「仕事力」)に、かつて「夢の遊民社」を率いていた野田秀樹さんが演劇に関する文章を載せており、そうそう!そうですよね!と思わず頷いてしまう内容だったので抜粋して紹介させていただきます。


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それは演劇という芸術が持っている宿命なのですが、「消えていくもの」なのですね。どんなに必死になっても、素晴らしい出来であっても二度と完全に同じ舞台は出来ない。(略)

演劇もビデオ化されるようになりましたが、やはりこれほど再生しにくいものはなく、現場で味わったものはたとえ翌日でも再生できない、非常に「はかない一夜」があるわけですね。(略)

この再生文化最盛期の時代に、演劇は影響を与えるかといえば、それは非常に小さいものでしょう。生涯演劇にまったく関係なく死んでいく人の方が膨大に多いわけですから。ただ、送り手の思い込みとしては、目の前で、生きた人間が汗を出し、声を出す姿は本当に強い。だから長くその感覚が続いて、後の人生のどこかでフラッシュバックするように出てきたり、突然理解できたりする瞬間が訪れると思っています。

もちろん、感動して「ああ、よかった」と涙を流し完結してしまう芝居がいいという人もいます。カタルシスを与えて、泣かせるのも演劇の一つですよね。でも、僕が信じている演劇の力はそうじゃない。観た時には完璧に理解されず、「あれはなんだったんだろう」ということがあっても、それをため込んで持っていてくれればいい。

おそらく文化や芸術というものは、演劇はもちろん、美術や音楽も含めてそれに触れるたびに、ずっと長く人間の中に蓄えられて人生の底に流れ続けていくのだと思う。何かすぐに答えをくれるわけでもなく、能力が飛躍するわけでもない。でもだからこそ、人生がギスギスしないように生きるには必要なのだと思います。(略)

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久米宏さんのニュースステーションの再現シーンに、何か変な人たちが出ているなぁ、と思ったのが劇団「夢の遊民社」を知るきっかけとなり、仲の良い同級生が遊民社の舞台作りに携わるような縁もあり、公演や時にはゲネプロもよく見に行きました。「半神」、「桜の森の満開の下」、「ゼンダ城の虜」、当時はよく分からなかったけど「あれは一体なんだったんだろう?」だけど、ただ分からないだけでなく、強烈な力で今も脳裏に焼きついて離れない、そういう印象的なシーンが必ずある素晴らしい作品を沢山作ってきた野田さんが今年から池袋の東京芸術劇場の初代芸術監督に就くと聞き、驚きつつも面白い劇場だなぁとにやけたりもしました。


今回、改めて感じましたが、劇場のある町は豊かだと思います。

ダンスカンパニー・Noism代表で新潟市芸術文化会館の芸術監督を務める金森穣さんが仰っていた話の中で、生身の人間が演じる「場」があること、その場にその町の人が見に集まること、そしてその帰り道にお茶を飲みながらその内容について語り合うこと、それらの一連の作用がその町の文化を高め、そこに住む人々を豊かにしてくれる、というようなお話がありましたが正にその通りだと思います。


公演の前日、練習の後で大道具の準備など一通りの準備を終えた夜おそく、しーんと静まった舞台を箒で掃いていた時に、ふと、静粛で厳粛な気分になりました。観る・観られる眼差しが交錯する舞台は頭で考える以上に畏怖の対象なのかも知れません。