取引先の人と酒を飲んで久しぶりに実家に帰りみんな寝静まった家でしんみり歯を磨いていたらふと、暗い廊下の先、電気を消し忘れた玄関の灯りの下に小包が置いてあるが目に入った。多少酔っていたせいか、自分宛の郵便物なんて滅多に来る筈のない実家なのに直感的に「あれは俺のだ」と確信して手に取ると果たして自分宛であった。

差出人の名前には見覚えがあった。

タケザワさん。

3年前、「土曜フリマの会」で桜木町のフリマに出店した際 、うちの店のほど近くで自作の木製戦闘機を売っていたおじいちゃんだ。中島飛行場時代のエピソードをまるで昨日買い物に行ったスーパーの話をするかのごとく淡々と話す姿が印象的で何時間も聞き入った。その後、何度か手紙のやりとりをしていたが、最近、体調を悪くされたのか、もうフリマには出店出来そうもないので製作した作品をもらってくれないだろうか、という便りを最後に手紙の行き来を止まっていた。深い思い入れの入った作品を軽々しい気持ちで受け取っていいものだろうか、と悩んだまま異動や引越しもあり手紙を出せずじまいだった。

そのタケザワさんから小包が届いていた。

中には零戦が一機と、図面が入っていた。

「陸軍零戦52型A6M5」







3年前のフリマで買った「隼」と同様、丁寧に思いを込めて作った一品。

戦闘機とは不釣合いなほど、全体的にまあるく温かみを感じる。

深夜2時過ぎ暫しうす暗い玄関で零戦を飛ばせながら、タケザワさんの話してくれたエピソードを思い出した。

ちょうど来月、タケザワさんの住む磯子で研修がある。

必ず会いに行こう。

久々の祈りプロジェクトです。


http://ameblo.jp/akiramania/entry-10042672831.html


祈りの力を信じています。

それでもどうにもならない事が最近ありました。

祈るひまもないほどあっという間に過ぎ去ってしまうこともありました。


すごく無力感にかられたり、「死」ってなんだろうと今更考えたりもします。

でも祈ることは必要だし大切なんだと、やっぱり思う。

対象となる人(ヒロミちゃん)だけでなく、祈る私たちにとっても。


ONSENSが暫くお休み中の今、アキラさんのソロライブに来てくれたお客さんは他人じゃありません。

いつまた再始動するかもしれないONSENSのお客さんになってくれるかも知れないし。


皆さんもほんのひと時、時間を分けてください。

ヒロミちゃん!最良なれ!



以下、アキラさんのブログより抜粋

(詳細は上記リンクにて)

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ラリー・ドッシー博士の「魂の再発見」(春秋社)という本から、祈りのポイントをまとめてみよう。

1,祈り方は自由。
2,祈りに距離は関係ない。
3,祈る人が対象を知っていた方が効果がある。
4,祈りは量に比例する。たくさんの人が祈った方が効果がある。
5,指示的に祈るより、指示しない祈りの方がはるかによい結果が出たという。 「ガンよ、消えろ」ではなく、「ヒロミちゃんにとってうれしいことが起こりますように」、「ベストになること」、「最適」なことが起きることを祈ろう。
6,患者に対して「純粋で聖的な意識」を抱くべきだとドッシー博士は言う。
7,祈った側もよくなるという循環の法則がある。

 「祈る人が対象を知っていた方が効果がある」ので、写真を載せます。(オレはこの写真をプリントアウトして沖縄にもっていく)
0708ヒロミ
 励ましのメールはヒロミちゃんのミクシ あてに送ってください。

久しぶりに風邪をひいたらしく、のどと腰がしこたま痛むのでたまの休日、台風接近の中ぐうぐう寝てたら、15時間くらいの間にたくさん夢を見た。


雨風のなか、布団でぐうぐう寝るのはかなり至福の時である。カーテン越しのどんよりした光、壁を伝って聞こえる雨どいを流れる水音、ふだんなかなか読めないスペアブックを開いたまま寝てしまってたり、目覚めてまた読み直したり、おぼろげな頭でさっき見た夢を思い出しているうちにまたいつの間にか別の夢を見てたり。こんなにまどろみを楽しむのは久しぶり。


寝起きは良くもなく悪くもなく。

体調は少し良くなったような気がする。


しかし、たくさん夢を見るってのは結構疲れるもんですな。


The Amnesty International Campaign to Save Darfur



さいきん良く聴いてる。

いいです。

これ。


このKarmaが、別のKarmaを呼び起こし、

少しづつでも、making some noiseな状況に結びつき、

そして、All the people living life in peaceになりますように。




広島に行きました。

エネオスグループの全国会議に出席しました。

カレーのCoCoイチ、一番屋㈱の創始者特別顧問の宗次徳二さんの講演を聞きました。

すごい人です。

講演ってのは学校と同じで、その場の話で蓄えられる知識なんてたかが知れてるけど、その場の話で得たインスピレーションというか考えるきっかけみたいなものこそ重要、と久しぶりに思うくらい、ハチャメチャで示唆に富んだ有難いお話でした。


夜、エネオス会の幹部からはぐれたフリして春駒さんに電話しました。

けっこう遅い時間だったのに、15分で颯爽とチャリで現れて感激致しました。

昨年8月の広島ライブから約1年ぶりの再会。

沖縄や中東や、カヤックやウィンドの話で盛り上がりました。


帰りに彦根に寄りました。

これまた奇遇で、昨年4月にマキちゃんの病院にお見舞いに行った時以来、約1年ぶりの再訪。

今回は同業のスタンド見学に行きました。

知ってる人もいるかもしれない、数年前からバイオディーゼルの店頭販売をしている国内でも数少ないスタンド(もとい、エコロジーステーション)の青山裕史さんにお話を直接聞きにお邪魔しました。

まだ大学に行ってたころ、スローライフの仕掛け人・辻先生のNPO法人ナマケモノクラブの講演会で、青山さんの講演を聞いて以来、これは直接見に行かないとと思ってました。

自前で作ったバイオディーゼルプラントを見せてもらったり、実際動かしてもらったり、精製したBDF100%の燃料で走るランクルに乗せてもらったり、排ガスの匂いを嗅がせてもらってやっぱてんぷら油ですね、なんて間抜けなことを言ったり、とこれまた示唆にと刺激に満ちた時間でした。


あ、あと、店に待望の新人アルバイトが入りました。

17歳男子二人組。

若いです。

二人足した年齢が自分の年齢ってのもどうなんだ。

笑顔が眩しいです。

キラキラしてます。

余りに眩しくて自分のくすみ具合が透けて見えます。


そんな感じです。

先日、餃子を食べに宇都宮に行って変なものを見つけた。





「餃子像」




宇都宮駅の西側に建ってる。

餃子の皮に包まれたミロのヴィーナスがモチーフだとか。

そりゃあんまりだ。

熱そうでもある。


餃子は美味しゅうございました。

昨日、ツバメの家族が旅立っていった。

春先、店の軒先のセコムの警告燈の上に番が巣を作り始めた。

間もなく雛が孵り、昼に夕にぴいぴい鳴きだした。

毎年のことらしく、うちの主任は慣れた手つきで、雛の落下防止用にダンボールのセーフティネットを取り付けた。

掌くらいの大きさの巣に、4羽。

親鳥が帰ってくるとぴいぴい鳴いて餌をせがむ。

ねずみ色に産毛が生えた雛が、痩せこけてるくせに大きな口をがばりと開いて餌をせがむ姿は少し怖い。

まるで餓鬼。

親鳥は4匹の餓鬼どものためにせっせと餌をとってくる。

昼に、夕に、少々の雨にも関係なく、せっせと飛び回る。

その姿はかなりカッコいい。

そこいらじゅうを猛スピードで縦横無尽に駆け抜け、颯爽と巣に戻ってくると嘴の先には餌の虫たちがしっかり咥えられている。

優秀なパイロットみたいである。

餓鬼たちの産毛がもう少し濃くなり、鳥らしくなりかけた頃、4羽が2羽になった。

ある朝、開店時に巣を見上げると、2羽になっていた。

まだまだ飛べる状態ではなかったが、親鳥がどこかに運ぶのには不可能なほどの大きさだった。

下に落下した形跡もセーフティネットにかかっている訳でもなかった。

掌の大きさの巣の中では思いもよらぬことが起きていたのかも知れない。

2羽になった子供はすくすく成長を続けた。

ツバメらしい羽も生え、色もねずみ色からどんどん黒に近づいた。

子供と呼ぶには大きくなりすぎた頃の、ある雨の日、親鳥が帰ってこなかった。

いつも2羽でそろって巣を守り続けた親鳥は、巣の近くで見ている分には何も文句は無さそうだけど、カメラを向けると途端に飛び立ち、頭上でぴいぴい鳴きながら飛び回ったり、急降下しながら威嚇飛行したりして巣を守り続けた。おかげでまともな写真が一枚も撮れず、旅立ったあとのこんな写真しか残ってない。





そんな子煩悩な親鳥が夕方から姿を消して、結局店を閉めても帰ってこなかった。

床に入ってからも親鳥は何処に消えたのか?餌をもらえない子供たちは大丈夫だろうか?などと考えた。疲れですぐ寝ちゃったけど。

翌朝行ってみると、親鳥たちは帰っていた。

何事もなかったように定位置となったトイレのピクトグラフの上に並んで座っていた。



それから一週間後。

よく晴れた夏日の始まりのような朝。

まず1羽が飛び立ち、残された1羽も躊躇したのち飛び立った。

午前中、2、3度、巣に戻って来たけど午後は戻って来ず、夜にも来ず、翌日も来なかった。

2ヶ月ちかく毎日顔を合わせ、セーフティネットまで作ってあげたにしては味も素っ気もない去り方だった。

「ありがとうございました、このごおんはいっしょうわすれません、では」

とか改まってモーニング着て言われても困るが。

気になったので巣を撤去して中の土や羽を細かく砕いて丹念に調べてみたが、果たして何も見つからなかった。

ONSENSのドラム、ヤオさんとパーカッションのリエちゃんがやってる"Earth Conscious"のライブを見た。


一五一会、カリンバ、バラフォン、ディジュリデゥー、ジャンベ、という楽器編成で、新しさとか新鮮さとか感じたりしてたのだけど、ライブが始まってすぐ分かった。

新しさとか新鮮さじゃない。

「これしか無いっしょ?」って聞こえてきた。

当たり前の、至極もっともな必然だった。


ヤオさんのバラフォン(アフリカ木琴)とリエちゃんのジャンベは同郷出身の楽器だし、ブンさんの弾くカリンバ(アフリカの指ピアノ、ムビラとも言う)もやっぱり同郷でしかもチューニングをバラフォンに合わせて自前で作っている。ナスさんの一五一会はBEGINが考案、岐阜のヤイリギター製作という世界に羽ばたくメイドインジャパンな4弦ギターである。日本的なキー構成になっているが不思議と他の楽器と相性がいい。ヤオさんいわく、バラフォンは実は東南アジアから派生していったもの(ガムランとかと同じルーツ)で実は日本の童謡も簡単に弾ける音階構成でもある。それにナタさんのディジュリデゥー。

オーストラリアのアボリジニに伝わる世界最古の吹奏楽器であるディジュを実際に現地でアボリジニの人たちと共に過ごし、アボリジニネームまでもらって習ってきたナタさんはしかし、帰国後、日本の土で作った。ディジュは本来、ユーカリの木の中心部、柔らかい部分をシロアリが食べて残った筒を使って出来ている。ナタさんは日本の象徴とも言うべき富士山の麓の窯で、日本の土を使って陶器のディジュを作り上げた。ライブの後、ナタさんからこの話を聞いたとき、むかし、BOOMの宮沢和志が沖縄の歌を作ろうとして悩んでた際に喜名昌吉が彼にかけたことばを思い出した。

「魂までコピーしちまえばいいんだよ」

そういえば、自分で作るのはヤオさんもブンさんも一緒である。


どれも心地よい歌ばかり。

時々、演奏のうしろで誰かが歌っているのが聞こえた。

それは、子供たちのわらべ歌であったり、女の子守唄であったり、男たちが畑で作業しながら口ずさむ歌だったりした。そういえば、ラサのジョカンジで見た作業歌にも似ているような・・・。

つまり、大地の歌。

生活に根付いた歌。

Earth Consciousはいのちを繋ぐ営みを思い起こさせる歌だった。

数年後、ダムに沈んでしまうかも知れない河原湯温泉に久しぶりに行ってきた。

陽だまりがあったかい部屋に引っ越しました。





六畳二間に四畳半のキッチン、バストイレ別で駐車場2台付きで3.8万はリーズナブルでしょう?

どうぞ遊びに来てください。

ただし、勤務中はお店へどうぞ。

ハイオク満タンと洗車はFK-2、オイル交換はエレメントフラッシング付きで1.5万はリーズナブルでしょう?